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2019年01月02日

鴨川の歴史の地めぐり

歴史あふれる南房総鴨川。安房地方は「続日本紀」に「元正天皇養老2年5月上総国を割きて安房国を置く」と記されています。長狭地方は沖積層によって形成されており、地味が肥沃で数千年前より人々が住んでいました。中世には里見氏が安房地域を統治しました。市域の村々の形成ができたのはこのころです。現代に入り、戦後、鴨川町は農業と漁師町としてにぎわう一方、長狭全郷の経済の中心地として、物資の集散地・消費地として商業活動も活発化しました。また、自然美に富んだ房総の観光拠点としても発展しました。長狭町は酪農・果樹園芸・米作で栄え、江見町は温暖な気候を活かした花き栽培が盛んになりました。鴨川町・長狭町・江見町が合併して鴨川市となりました。平成17年には、天津小湊町も合併し現在の鴨川市となりました。


【長狭芸術の小径】
長狭という地名は、古事記の神武天皇の条に「神八井耳命」(かんやいみみのみこと)は長狭国造の祖」とあり、万葉集には「上総の郡名に長狭・朝夷あり」と記されています。安房国長狭郡下打墨村で生まれた稀代の彫工 武志伊八(武志伊八郎信由)の作品を見ることができます。



名称 吉保八幡神社

詳細 祭りに流鏑馬(やぶさめ)が行われる(千葉県指定無形民俗文化財)。伝統行事として伝えられる流鏑馬は馬で駆けながら矢を的に射る神事。神殿前の馬場の3か所に的をたて、命中度で次の年の豊作、凶作、適種を占う。伊八30代なかばから後半の作が向拝を中心に飾られている。

場所 鴨川市仲253
TEL 04-7093-3800
◆JR外房線安房鴨川駅より路線バス15分「吉保」バス停下車
◆館山道鋸南保田ICより約30分
名称 地蔵院

詳細 歌人 古泉千樫が下宿した寺
(伊藤左千夫、斎藤茂吉、島木赤彦らとともに雑誌「アララギ」の発展に尽くし、日本近代短歌史に名を刻んだ歌人)

場所 鴨川市池田260
TEL 04-7093-3800 ◆二軒家バス停から徒歩6分

名称 楞厳寺(りょうごんじ)
詳細 4代目伊八の本堂欄間十六羅漢像図がある。

場所 鴨川市池田439

名称 主基斎田跡の碑
詳細 明治天皇即位の際に国内で二か所選ばれた斎田のうちの一つ。主基斎田は安房国長狭郡北小町村字仲ノ坪の6反歩(約60アール)に卜定された。当時の水田跡に記念碑が建立。

場所 鴨川市北小町字仲ノ坪

名称 伊八屋敷跡
詳細 武志伊八郎信由は宝暦二年(1752年)に現在の鴨川市打墨で生まれた。躍動感あふれる波の作品を彫り、葛飾北斎の「富嶽三十六景」「神奈川県沖裏波」などの画風に強い影響を与えたと言われている。

場所 鴨川市打墨

名称 西福寺
詳細 古泉千樫の赴任した学校であり東京へ出ることになった寺。永禄2年(1559)に長安寺の五世続翁和尚の創立。初代伊八 欄間額 三面波に龍七福神(鴨川市指定有形文化財)

場所 鴨川市竹平355

         TEL 04 7093 3800

名称 薬王院
詳細 宝暦14年(1764)の本堂建立棟札には「慈永山薬王院第十七世権大僧都法印勝範」とあり、寺院の創始は少なくとも中世末期まで遡ることは確実。本堂の欄間彫刻は「波の伊八」の若い頃の作で、装飾感豊かに仕上げられた竜虎の図は彩色もよく残っており、市の有形文化財に指定されている。本堂の北側に佇む薬師堂は堂内の柱に書かれた墨書から、正保5年(1648)に建立されたことがはっきりしている。安房地域でも数少ない江戸時代初期の建築の貴重な例として県の有形文化財に指定されている。

場所 鴨川市粟斗179-1

        TEL 04 7092 2948

名称 金乗院
詳細 真言宗智山派の寺院。初代移行の伊八の彫刻が一同に見られる。初代伊八 金乗院大日堂 向拝の龍、欄間酒仙童図(鴨川市指定有形文化財)3代目伊八 額四六番 4代目伊八 仁王門 5代目伊八 大日堂内大黒像。大正時代、彫刻家の高村光雲が大日堂を訪れ彫刻の秀雅さは関東で稀であると評した。

場所 鴨川市打墨709

名称 神明神社
詳細 明和四丁亥(1767)年9月15日に創建され、以来八色地区の氏神として尊崇された。明治以前は日天尊と称していたが明治維新に際し神明神社と改称。5代目伊八 拝殿向拝の龍がある。

場所 鴨川市八色491

名称 宝国寺
詳細 本堂の向拝(こうはい)に4代目伊八・信明作の「龍と波と天女」がある。

場所 鴨川市打墨211

名称 愛宕神社
詳細 近世初頭の建築。中世末の建築様式をとどめる。薬師堂1棟、棟札2枚は千葉県指定有形文化財。薬師堂には内外陣境の柱に正保5年(1648)の墨書。

場所 鴨川市坂東634-4

名称 花蔵院
詳細 近世初頭の建築。中世末の建築様式をとどめる。薬師堂1棟、棟札2枚は千葉県指定有形文化財。薬師堂には内外陣境の柱に正保5年(1648)の墨書。本堂向拝には、三代目波の伊八こと武志伊八郎信美の見事な彫刻がある。

場所 鴨川市和泉185

名称 蓮華寺
詳細 近世初頭の建築。中世末の建築様式をとどめる。日蓮が鎌倉を出た後に留まったところ。日蓮はここから天津に向かう途中の小松原で襲われた。寺の手前に日蓮が小松原法難で受けた傷を洗った井戸がある。薬師堂1棟、棟札2枚は千葉県指定有形文化財。薬師堂には内外陣境の柱に正保5年(1648)の墨書。

場所 鴨川市花房1236

波の伊八とは

初代「波の伊八」こと、武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)は1752年(宝暦2年)に現在の鴨川市打墨で生まれた宮彫師。 伊八は若いころから才能を発揮し、次第にその腕を買われ、安房・上総をはじめ、江戸や相模など、南関東を中心に数多くの彫刻を残している。 別名「波の伊八」と呼ばれるように、大小に関わらず多くの波を彫っている。 彼の彫る彫刻は、立体感や奥行きがあり非常に優れているが、 特に波は躍動感に満ちている。伊八は房総の勇壮な海をのんびりと眺め、作品へのインスピレーションを湧かせていったと言われている。 また「波の伊八」と呼ばれるように「関東に行ったら波を彫るな」と言われ、躍動感あふれる波の作品を彫り、葛飾北斎の 「富嶽三十六景」「神奈川県沖裏波」などの画風に強い影響を与えたと言われている。

伊八の名前は初代から約200年五代にわたって昭和29年まで受け継がれた。
初代 武志伊八郎信由  宝暦二年(1752年)~文政七年(1824年)
二代 武志伊八郎信常  天明七年(1787年)~嘉永五年(1852年)
三代 武志伊八郎信美  文化十三年(1816年)~明治二十二年(1889年)
四代 武志伊八郎信明  文久二年(1862年)~明治四十一年(1908年)
五代 武志伊八郎信月  明治二十三年(1890)~昭和二十九年(1954年)



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【往きかう海の小径】

名称 葛ヶ崎城跡(くずがさきじょう)
詳細 外房の海をおさえるための湊城。天正18年(1589)、正木氏が里見氏に対して起こした反乱の際に合戦が行われたと伝わる。幕末の黒船打ち払い用の砲台跡もあったといわれる。

場所 鴨川市天津字城山

   JR外房線安房天津駅より車で10分

名称 善覚寺
詳細 2代目伊八 本堂向拝龍

場所 鴨川市天津1568

         JR外房線安房天津駅から0.8km

名称 国防の松
詳細 第2次世界大戦中、松の根をガソリンの代用として採取。

場所 鴨川市東条海岸付近

名称 永明寺
詳細 東条氏の菩提寺。鴨川市指定有形文化財の向唐門は切妻造り茅葺。天井は輪垂木を配した化粧屋根裏で、主柱、副柱とも柱上には前方と左右に木鼻と虹梁に施した若葉彫刻はいずれも図柄が大きく、彫りも深く時代色がうかがえる。山門の年代は、棟札から文化9年(1812)に改築されていることがわかる。県内にはこの種の形式を持つ建築の残存率が少なく、山門建築の推移を知る上で重要。

場所 鴨川市西町1146

名称 天津神明神社
詳細 源頼朝が戦に敗れて安房の地に逃れてきたとき、源家の再興を伊勢の大廟に祈願し、成就されたことにより、寿永3年(1186)、当地に伊勢より神霊を勧請し、もうけ明神とともに祀った。「房州伊勢の宮」と仰がれる。日蓮も修行地清澄への道程で必ず参拝。800年の歴史。境内に県指定天然記念物のまるばちしゃの木がある。

場所 鴨川市天津2950

名称 ロシア人初上陸地
詳細 江戸中期にロシア人が上陸した地。鎖国下にあった江戸時代の元文4年(1739)5月、天津村の沖合にロシアの探検隊が来航し布入の地に上陸。この上陸はわが国(北海道を除く)で初めてのロシア人の上陸であり、日本の歴史・外交史上でも重要な出来事。地元漁民が食料や飲料を提供した(鴨川市指定史跡)。

場所 鴨川市浜荻地先

   JR外房線安房天津駅から徒歩10分

名称 日澄寺
詳細 白浜御厨を管理していた工藤吉隆が眠る地。弘安5年(1282)に創建。小松原の法難で討ち死にした工藤吉隆の居館跡(外との窓口である海を押さえる居館跡)。

場所 鴨川市天津1850


天津のまるばちしゃの木(神明神社 鴨川市天津2950)

県指定天然記念物。マルバチシャノキは、ムラサキ科の小型落葉高木で、海岸の日当たりの良い斜面に自生する。 安房以西、四国、九州、沖縄、台湾などの暖地に分布し、5月ごろに枝の先に密集してやや大形の白い花がつく。 黄色に熟した果実の中には、バナナの香りに似た果肉がある。 天津のマルバチシャノキは、神明神社境内の左手にあり、大きいものは幹回り1.6mになる。 海に近いことと、老木であることから枝葉に風害や塩害がみられ、昭和44年には付近で火災がおき、樹皮が剥がれている個体もある。 マルバチシャノキは、天津小湊町の各地域で自生しているが、この地域が分布の北限である。北限域の分布地を代表して 神明神社の木を県指定天然記念物に指定している。

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守り神の小径

名称 大山不動・高蔵神社
詳細 扇形をした長狭平野の要である長狭の守り神。奈良時代に良弁僧正が開山したと伝える大山寺は高蔵山の中腹にあり境内からは長狭平野や市街地が一望できる。不動堂(建築年代は享和2年 1802)は入母屋造り、銅板葺き。厨子、棟札、鐘桜、木造不動明王坐像および両脇侍立像が市・県指定有形文化財。火渡り紫燈護摩法要。神楽獅子舞および羯鼓舞が行われている。北風原の春日神社より降雨祭による羯鼓舞の奉納があった。

場所 鴨川市平塚1723

名称 金束(こづか)城跡
詳細 長狭の西を押さえる砦である金束城は鴨川市の最西端の山中で富津市との境に近いところにある。室町時代に高梨紀伊守が築いた城といわれる。

場所 鴨川市金束椎ノ木

名称 安田家墓地
詳細「安房守勝海舟」の銘が入った自由民権運動を推進した安田議員の墓石(2基)。

場所 鴨川市

名称 高蔵神社の鳥居
詳細 大山を背負い、棚田を前面にした一鳥居。掘り出された不動明王の石仏がある。

場所 鴨川市

名称 八大龍王神の塚・いさき池
詳細 いさき池で水を汲み、大山不動の雨乞い神事を行う。修験の遺跡。

場所 鴨川市北風原

名称 大山千枚田
詳細 地元農家が代々守ってきた昔ながらの棚田の風景を見学できる。春には緑の苗代、秋には黄金色の稲穂が風にそよぐ光景は日本の棚田100選に選ばれる見事なもの。千葉県指定名勝。

場所 鴨川市平塚540

名称 長安寺
詳細 正木時忠によって永正3年(1506)に創建されたと伝えられる。里見氏に嫁いだ正木家出身の姫を供養する宝篋印塔がある。

場所 鴨川市宮山1597-1

名称 古泉千樫誕生地(こいずみちかしたんじょうち)
詳細 アララギ派の歌人。「わが家の古井のうへの大きな椿 かぐろいにひかり梅雨はれたり」伊藤佐千夫、斎藤茂吉、島木赤彦らとともに雑誌「アララギ」の発展に尽くした。古い面影を残す椿の井戸を中心に千葉県指定史跡に指定、公園として整備。公園内に彼の代表作の歌碑「みんなみの嶺岡山のやくる火のこよひもあかく 見えにけるかも」明治19年(1886)生まれ~昭和2年(1927)没。

場所 鴨川市細野 JR安房鴨川駅から鴨川日東バス(長狭線)にて約25分「御園橋」下車 徒歩20分

名称 正木環斎屋敷跡
詳細 環斎とは正木邦時の隠号。正木環斎は勝浦城主であったが、豊臣秀吉により領地を没収されたため、正木氏の旧拠点である長狭に戻り、築いた館跡。お万の方(紀州・水戸藩主の祖の生母)の親。

場所 鴨川市成川321

名称 山口志道誕生地
詳細 江戸時代の国学者である山口志道の誕生地。明和2年(1765)生まれ。少年時代は北風原村の安国寺で漢学を学ぶ。25歳の頃、江戸に出て荷田訓之に師事、神代学・国学を学び、稲荷信仰の古伝を伝授され「古事記」の神代の巻を解釈し、独特の神代学を完成。学徳広く国学以外に漢詩、和歌、狂歌などの分野でも多くの著書がある。鴨川市指定史跡。

場所 鴨川市寺門

名称 安国寺
詳細 足利尊氏・直義兄弟は、全国66か国と2島に元寇以来の内乱で戦没していった死者を弔い、平和を祈願する証として建てた。

場所 鴨川市北風原911-1

名称 春日神社
詳細 北風原(ならいはら)春日神社の羯鼓舞(雨乞い神事)は県指定無形民俗文化財。天文年間から伝わる。請雨山の愛宕神社と1年交代。雄獅子、雌獅子、中獅子の3匹の獅子が、大太鼓を雷鳴のように轟かせて稲作に必要な天水の確保を祈願する。7月第4日曜日に行われる。

場所 鴨川市北風原307

名称 方広寺
詳細 正木環斎の母である妙尼を中興の祖とする。宝篋印塔がある。

場所 鴨川市成川2479

北風原の羯鼓舞

県指定無形民俗文化財。毎年7月の第4日曜日に催される。稲作のために必要な天水を確保することを祈念する雨乞い神事。 その起源は里見氏の時代までさかのぼるとも言われている。三匹の獅子(雄獅子、雌獅子、中獅子)が腹につけた太鼓(羯鼓)を 打ちながら、恵みの雨が降ることを天に祈って舞いを奉納します。

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【安房武士団の小径】

名称 聖人塚(上人塚 しょうにんづか)
詳細 鎌倉時代天津地区をおさめた豪族・工藤吉隆は、日蓮宗に帰依し、小松原の法難では日蓮聖人を守り、討ち死にした。 勇士を葬ったこの地には、五輪塔がある。

場所 鴨川市広場1677-1

名称 和泉公会堂
詳細 大正10年(1920)に地域の人が資金を出し合って建てた集会場。寄棟屋根の母屋に下屋をつけた大規模な和風の建物(国登録有形文化財)

和泉の三役

五穀豊穣と無病息災を祈念し棒術・羯鼓舞・神楽獅子舞の三つが揃って男金神社の祭礼日に奉納。10月体育の日前後(鴨川市指定無形民俗文化財)

場所 鴨川市和泉1612

名称 男金(おがな)神社
詳細 登る石段は338段。通称和泉妙見社ともいわれ、和泉地区の氏神。山立。3代目伊八 拝殿向拝の龍がある。

場所 鴨川市和泉1639

名称 後広場古墳群
詳細 長狭開拓を行った支配者の墓所広場の低地の砂州上に築かれた後広場1号墳からくり抜き式舟形石棺が出土した。(郷土資料館に提示)

場所 鴨川市横渚1401-6

名称 小松原山 鏡忍寺
詳細 源文永元年(1264年)日蓮の小松原の法難において殉死した鏡忍坊らを供養するために建立された寺。平野仁右衛門・武志伊八などの菩提寺。初代伊八 祖師欄間(鴨川市指定有形文化財)5代目伊八 鬼子母神、向拝の龍がある。

場所 鴨川市広場1413

名称 庤(もうけ)神社 東条御厨跡
詳細 頼朝により東条の荘園を伊勢神宮に寄進。「神国鈔」にも東条御厨は記されている場所 鴨川市西町701

名称 諏訪神社
詳細 新田開発。江戸型山車 鴨川合同祭 9月第2土・日曜。初代伊八 本殿龍二体がある。

場所 鴨川市横渚812

名称 西郷氏館跡(東条氏陣屋跡)
詳細 近世における鴨川支配の中心地。江戸時代初期の大名西郷氏の館跡。中世の遺物も多数出土。中世の寺、陣屋跡と同じ場所に近世の陣屋が造営された。

場所 鴨川市東町848

名称 根方上の芝条里跡(ねかたうえのしばじょうりあと)
詳細 口分田・長狭米のはじまり。奈良時代の官衙的色彩の濃い堀建柱建物跡のみで構成される地区がある。

場所 鴨川市横渚



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