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2024年09月06日

鴨川歴史探訪 ~鴨川の歴史にふれる旅~

房総半島南東部に位置する鴨川市。この地でも古くから人々が多くの物語を紡いできました。鴨川の歴史にふれることにより、何気ない風景にもより深い彩りが加わります。『鴨川歴史探訪』で、旅の新しい感動を発見してください。

鴨川地区

鴨川市の中心地。東側は太平洋に面し、観光地や市街地が集まるエリアです。

鏡忍寺

鴨川市広場1413

文永元年(1264)、東条景信に襲撃され日蓮聖人も刀傷を負った小松原法難。その際に殉死した、弟子の鏡忍坊と信者の工藤吉隆公を弔うため、弘安四年(1281)に日蓮聖人が開創した名刹。法難の際、鬼子母神が降臨し危ういところを救ったと伝わる「降神の槙」(鴨川市指定天然記念物)は樹齢が千数百年といわれています。また境内には、祖師堂正面の欄間三面に飾られた初代伊八の作品や、茅葺の切妻造屋根が特徴的な「向唐門」などの鴨川市指定有形文化財もあります。

和泉公会堂

鴨川市和泉1612

大正10年(1921)、鴨川市域最初の耕地整理の完成を機に建設された地区住民の共有建築物で、記念碑的建造物でもあります。市内で最も古く、規模の大きい公会堂で、国登録有形文化財として登録されています。木造平屋建、寄棟造瓦葺で、主屋の外周に庇を差出し、正面中央にはムクリ入母屋の車寄玄関を突出させ和風公会堂建築に共通した形態をとっています。男金神社の祭礼日には、神前及び和泉公会堂前にて「和泉の三役」と呼ばれる「棒術」、「鞨鼓舞(かっこまい)」、「神楽獅子舞」の三つが合わせて奉納されます(鴨川市指定無形民俗文化財)。

男金神社(おがなじんじゃ)

鴨川市和泉1639

和泉地区の氏神。創建年月不詳。社殿は文久二年(一八六二)、当時房総の名匠といわれた半助棟梁の建築によるもので、拝殿向拝の丸彫りは、三代目伊八の作品です。古来「妙見社」と呼ばれて来ましたが、明治初年の「神仏分離令」により現在の名に改められました。

薬王院

鴨川市粟斗179-1

由緒や創立は不明ですが、寺院の創始は少なくとも中世末期まで遡ることは確実です。本堂の欄間彫刻は「波の伊八」の若い頃の作で、装飾感豊かに仕上げられた竜虎の図は彩色もよく残っており、鴨川市の有形文化財に指定されています。本堂の北側に佇む薬師堂は堂内の柱に書かれた墨書から、正保五年(一六四八)に建立されたことがはっきりとしています。細部の様式に中世の名残をとどめる、安房地域でも数少ない江戸時代初期の建築の貴重な遺存例として千葉県の有形文化財に指定されています。

諏訪神社

鴨川市横渚812

南北朝の頃、信州高梨郷より当地に移住した人たちが、信州諏訪郡の諏訪大明神を勧請したといわれています。安永八年(1779)に社殿が再建され、享和元年(1801)に大造営を行いました。本殿左右に龍の彫り物があり、向かって右側の龍には「武志伊八郞信由」(初代伊八)の銘が入っています。鴨川市合同祭に出祭する諏訪神社の山車と人形は、鴨川市の有形民族文化財に指定されています。

永明寺

鴨川市西町1146

弘化二年(1279)に東条景信により創立した寺で、当初は市内の西町字根本に所在していましたが、元禄の大地震により津波の被害を受けて、現在の場所に移転しました。鴨川市指定文化財の「向唐門」は切妻造り茅葺で、この種の形式を持つ建築は、残存率が少なく、山門建築の推移を知る上で重要なものとなっています。

魚見塚展望台

鴨川市貝渚3277

この場所は、かつて漁師たちが沖合いにくる魚の群れを見張っていたことから「魚見塚(うおみづか)」と呼ばれています。魚見塚一戦場公園内にあり、女神像「暁風」をシンボルとして、嶺岡山系東端の海抜約110m地点に位置し前原海岸や鴨川松島、仁右衛門島など三方に開けており、どこまでも続く大海原や鴨川の街並みが一望できます。水平線から昇る朝日や夕暮れ時、夜景の美しさはまさに絶景です。二階展望デッキなどに「蓄光タイル」が散りばめられているため、夜間にはホタルのような淡い光に包まれます。

金乗院

鴨川市打墨709

大日堂は、平安時代初期に、弘法大師ゆかりの大日如来像を安置するために建てられたと伝えられます。大日堂の欄間には、初代伊八作「向拝の竜」と「酒仙の図」の欄間彫刻が残されており、鴨川市の有形文化財に指定されています。

波の伊八生誕地

鴨川市打墨

「波の伊八」こと、武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)は、宝暦2年(1752)に現在の鴨川市打墨で生まれた彫刻師です。かつてこの場所には武志家の屋敷のほか、作品を作る工房が構えられていました。躍動感あふれる波の作品を彫り、「波を彫らせたら日本一」とされ、彫刻師の間で「関東に行ったら波を彫るな(伊八と比べられてしまうため)」とまでいわれた名工です。葛飾北斎の「富嶽三十六景」「神奈川県沖裏波」などの画風に影響を与えたと言われています。

心厳寺

鴨川市貝渚2002

大正時代までは鴨川漁港に近い場所にありましたが、昭和五年に現在の地に移り、本堂が建設されました。本堂内に初代伊八の竜の彫刻二点が取り付けられています。また、千葉県指定有形文化財の「木造行道面菩薩面 比丘面」(彫刻)、鴨川市指定文化財「浄土三曼陀羅」があります。

鴨川富士

鴨川市打墨

標高208.7m、歩行時間2~3時間、歩行距離 約4㎞。登山口は打墨口と花房口に2か所あります。頂上付近から長狭平野の眺めは圧巻です。平成28年(2016)の調査で、山頂に土塁や堀切などの遺構が確認され、城址であることが判明しました。15~16世紀の戦国時代のものとみられ「鹿野岡城跡」と命名されました。

江見太海地区

太平洋に面した海岸線は景勝地として知られ、嶺岡山地の南麓は、嶺岡牧と呼ばれる牧場が開かれた場所となっています。

仁右衛門島

鴨川市太海浜445

仁右衛門島は南房総の海にぽっかりと浮かぶ30,000㎡程の島です。昔から所有者の平野仁右衛門が一戸だけ住んでいる所から「仁右衛門島」(にえもんじま)と呼ばれています。源頼朝や日蓮聖人の伝説で知られ、石橋山の戦いに敗れて逃れてきた源頼朝が身を潜めたといわれる洞窟や、日蓮聖人が旭を拝んだといわれる神楽岩などがあります。千葉県指定の名勝で、「新日本百景」にも選ばれており、島の周囲に広がる海はいつも青く澄み、春には磯遊び、夏には海水浴ができ、四季を通して花々が絶えることなく咲きます。島へは風情あふれる珍しい二丁櫓の手こぎの渡し船で渡ります。

岩屋山波切不動

鴨川市江見太夫崎

道の駅鴨川オーシャンパークから徒歩約七分。大きな岩をくり抜いた中に不動堂があります。不動堂に向かって右側には、「鴨川市石造物百選」に選ばれている倶利伽羅龍王と狛犬があります。すぐ近くの太海不動滝は、名馬川を流れ海に続きます。また、この地には源頼朝に関する伝説が残っています。石橋山の戦いに敗れて逃れてきた頼朝が、洞窟の中で見つけた一頭の黒い馬を、滝から流れ出る川で洗い、「太夫黒(たゆうぐろ)」と名づけて愛馬としました。それにより太夫黒を洗った川を「名馬川」、その川に架かる橋は「名馬橋」となったとされています。

西徳寺

鴨川市天面163-1

江戸時代に檀家16名により創建され、「房州天面の善光寺様」と呼ばれています。千葉県の有形文化財に指定されている阿弥陀如来・両脇侍立像三体が安置され、三体とも銅で鋳造された善光寺式となっています。この阿弥陀三尊は60年に一度の本開帳の時のみ、拝むことができます。

西神社

鴨川市西744

曽呂十字路を山間に進み、鴨川市と南房総市旧和田町との境近くにあります。大山祗命(おおやまつみのみこと)を祀る神社です。社殿に向って左側の大スギは、鴨川市指定天然記念物とされています。

旧水田家住宅

鴨川市西339-1

戦後歴代内閣の大蔵大臣や通産大臣、自民党政調会長を務めた政治家であり、城西大学創立者である水田三喜男の生家。愛宕山の麓、曽呂川流域の西奥部に位置しています。2002年、主屋と長屋門が国の登録有形文化財に登録され、2003年には千葉県建築文化賞を受賞しました。主屋の建築年代は江戸時代後期、長屋門の建築年代は江戸時代後期から明治初期と推定されています。旧水田家がある旧曽呂村(鴨川市) は、嶺岡山脈の南麓を東から西へ通じる道を中心とした山村で、嶺岡山は酪農の発祥地とされています。長屋門の左右には、それぞれ牛小屋が置かれ、かつて嶺岡牧場と関わる酪農を営んでいたことを物語っています。 公開時間:9時 ─ 15時半 入場料:無料 休館日:火

熊野神社

鴨川市畑375

高鶴山の南西側にある神社。はじめ狛犬と江戸狛犬、二種類の狛犬が配置されています。鴨川市の天然記念物に指定されている二本のナギが寄り添うように自生しています。県下でも例がないほどの巨木です

高鶴山

高鶴山は、標高326mの独立峰の山で、天狗の山として知られ、山頂の石尊神社には、二面の天狗面が奉納されています。三段の滝、渡渉、畑のせき、金杖の滝など豊かな水があります。周辺では棚田が広がる里山の原風景を見ることができます。

長狭地区

鴨川市の西部に位置し、おいしい「長狭米」で知られ、のどかな田園風景が広がっています。

西福寺

鴨川市竹平533

曹洞宗の寺院で、永禄2年(1559)長安寺の五世・続翁和尚が創建したとされています。明治末、アララギ派の歌人・古泉千樫(鴨川生まれ)が隣接する小学校の教師をし、一時、寺に寄宿していました。本堂の欄間には、初代伊八作の「波に龍」の図一点と「七福神」の図二点の彫刻があり、鴨川市の有形文化財に指定されています。

古泉千樫誕生地

鴨川市細野

古泉千樫は、明治19年(1886)、長狭郡細野村の農家の長男として生まれた歌人です。小学校教員として奉職するかたわら、多くの歌を寄せ、伊藤左千夫の門人となりました。明治40年(1907)に上京し、伊藤左千夫、斎藤茂吉、島木赤彦らとともに雑誌「アララギ」の発展につくしました。千樫の万葉調の穏健な歌風は、日本近代短歌史上不滅の地位を築きました。現在、生家の建物は再建されていますが、古い面影を残す邸内の椿の井戸を中心に県の史跡に指定されており、周囲の庭園は、遊歩道、四阿(あずまや)等が設置され、見学できるようになっています。

主基斎田

鴨川市北小町1859

主基斎田(すきさいでん)は、明治天皇の即位後、最初の新嘗祭である大嘗祭に献上する新穀を栽培する田(=斎田)として選ばれた場所です。明治4年の大嘗祭で主基斎田は安房国長狭郡北小町村字仲ノ坪の六反歩(約60アール)に卜定されました。村では斎田の周囲に青竹を立ててしめ縄を張り、垣をめぐらせて厳重に囲いました。また隣地には八神殿、稲実殿などを設け、番屋で花房藩の役人が警備しました。大嘗祭に先立ち神祇省(じんぎしょう)から抜穂使(ぬきほのつかい)ら八人が多くの従者を伴って訪れ、抜穂式(ぬきほしき)は厳かに行われました。現在はその栄誉を記念して碑が建立され、主基斎田址公園として整備されています。

安国寺

鴨川市北風原911-1

足利尊氏・直義兄弟は、全国六十六か国と二島に元寇以来の内乱で戦没していった死者を弔い、平和を祈願する証として安国寺を建てました。足利尊氏創建時の安国寺は、現在の地より少し南の「寺門」にありました。現在の場所に大きな寺が建てられましたが後に焼失し、元禄16年に再建され現在にいたっています。その間に宗派は臨済宗より曹洞宗に改派しています。

長安寺

鴨川市宮山1597

房総里見家ゆかりの寺。曹洞宗。寺伝によれば永正2年(1505)に受天英祜(じゅてんえいこ)大和尚が開創された名刹です。以来、代々の住持のもとに、多くの雲衲と呼ばれる修行僧が集まり、房州の地に新たに参禅の道場を開き弁道につとめました。元禄年間、本山より最高の格を持つ寺院を指す「常恒会」を許され、地方僧録所となり、明治二年の記録では常在雲衲が20名を数える大寺院でした。房州の奥裡にある参禅道場として今日に至っています。

大山寺・高蔵神社

鴨川市平塚1718

大山不動尊の名で知られている大山寺は、しばしば「関東三大不動」に数えられ、長狭地域の人々から篤く信仰されています。大山寺は、奈良時代(724)に奈良東大寺の開祖、良弁僧正によって開山されたと伝えられています。頼朝、足利尊氏の信仰を受けて繁栄し、江戸時代には山伏の寺として存続してきましたが、明治政府の「神仏分離令」「修験禁止令」発布により、それまで神仏混淆として宗教儀礼を行ってきた修験寺院は壊滅的な打撃を受けることとなり、本堂は神社の境内付属物として扱われることに。独立した仏教寺院として存続させるため、平成19年(2007)に宗教法人格を取得し、真言宗智山派大山寺として独立、現在に至っています。不動堂、木造不動明王坐像及び両脇侍立像、大山寺内殿厨子は千葉県指定有形文化財、鐘桜堂、宝篋印塔は鴨川市指定有形文化財とされています。不動堂の向拝に据えられた二匹の竜「飛龍・地龍」は、初代伊八の作品です。

バクチノキ群生地

鴨川市古畑 バクチノキは、暖地に生息するバラ科の常緑樹で、大木になることもあります。「バクチノキ」という名前の由来は、特徴的な樹皮から名付けられたものとされています。樹皮は灰褐色で、鱗のように剥がれます。剥がれた跡は紅黄色の肌が現れ、バクチに負けて身ぐるみを剥がれたさまに例えられました。群生地は、標高219mの大山の中腹の大山不動堂の参道沿いの山林にあります。約600㎡の範囲に数十本が生えており、県内最大の群生地であるとともに、この地域が国内最北端の群生地となっています。千葉県指定天然記念物。

吉保八幡神社

鴨川市仲253

天長6年(829)に吉保郷の鎮守として勧請。現在の本殿は天明年間(1785頃)に造営されたと伝えられています。彫刻師 初代伊八の作が向拝を中心に飾られています。里見氏の時代より連綿と続く流鏑馬の儀式が毎年九月の最終日曜日に執り行われます。

大山千枚田

鴨川市平塚540

大山千枚田は、鴨川市街より西へ狭く長い長狭平野のある大山のふもとにあります。東京より一番近い棚田の里と知られ、30段、375枚を数える棚田は階段状に並び、日本の原風景ともいえる田園風景が広がり、「日本の棚田百選」に選ばれています。平野の田んぼと違って耕地整理が遅れたことが、美しい棚田を現代に残すことになりました。日本で唯一雨水のみで耕作を行っている天水田で、動植物も貴重なものが多く生息し、生物多様性の宝庫となっています。現在は「オーナー制度」を導入し、景観保全とともに農業体験の場を提供しています。 千葉県指定名勝。

天津小湊・清澄地区

海と山に囲まれ、漁業が盛んな天津小湊エリア。日蓮聖人生誕の地としても知られています。北方山間の清澄エリアには、日蓮聖人が修行した清澄寺があります。

誕生寺

鴨川市小湊183

日蓮宗の大本山。建治2年(1276)日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に寺を建立。明応7年(1498)と元禄16年(1703)の二度の大地震、大津波を経て現在地に移転されました。現在、生家跡伝承地は沖合いの海中にあります。「仁王門」(千葉県指定有形文化財)は、県内で最大規模の建造物で、楼上の般若の面は左甚五郎作と伝えられています。『誕生寺の線香と磯風』が、「かおり風景100選」に選定されています。

鯛の浦

鴨川市小湊183-8

日蓮聖人が誕生したとき、突然庭に泉が湧き出し、浜辺には青蓮華が咲き乱れ、海面には鯛の群れが飛び跳ねたという不思議な出来事「三奇瑞」が起こったと伝えられています。また、日蓮が両親の供養に小舟で訪れた際に題目を唱えると、海面に題目の文字が現れ、鯛の群れがそれらを食べつくしたという伝承もあり、鎌倉時代から村人は鯛を「日蓮聖人の化身」として守ってきました。通常の鯛は、水深30m~150mに棲む深海魚で、群れをなさないといわれていますが、鯛の浦の鯛は年間を通じて船べりをたたく音を聞くと水面近くに群れをなして出現し、与えられた餌を食べます。これは非常に珍しいと言われており、鯛の浦の鯛は、国の特別天然記念物に指定され、学術的にも貴重な存在になっています。

妙蓮寺

鴨川市小湊129-1

建長5年(1253)に立教開宗した日蓮聖人は、第一に父母を教化し、父に「妙日」、母に「妙蓮」という法号を与えました。文永4年(1267)に母が逝去した折、父の霊所に墓塔を建て、両親の法号より「妙日山妙蓮寺」と命名したとされ、その後、小湊誕生寺三世静上人がここに「両親閣」を建立しました。感応堂には、親子三体像が安置されています。

大弁天・小弁天

鴨川市小湊地先 鯛の浦に浮かぶ小島、大弁天と小弁天の間の海中に日蓮聖人の生家、旧誕生寺、井戸跡などが沈んでいるといわれています。弁才天が魚を惜しみ、当地で魚を捕える者は病になるといったため、漁師は恐れて小魚を海中に投じ、鯛などの魚が集まるようになったと伝えられています。一帯の入江は日蓮聖人誕生の際、青蓮華が咲いたことから「蓮華ヶ淵」と呼ばれ、海岸の砂は輝きが美しく「五色砂」と呼ばれています。

不動滝

鴨川市四方木 小櫃川の源近く、清澄山の北側に位置する不動滝。幅は八m、落差は一〇mあり、向かって右側が雄滝、左側が雌滝と呼ばれ、雌滝は水量の多い時にだけ見ることができます。滝に降りる入口には不動堂があります。初夏の新緑と初冬の紅葉の時期の雨上がりが、水量も多く見応えがあります。

清澄寺

鴨川市清澄322-1

日蓮聖人は12歳の時に山に入り、道善法師に師事し出家得度されました。勉学修行に励んだ日蓮聖人はさらに各宗の奥義を学び、建長5年 (1253)、32歳の時、清澄寺境内の旭が森で立教開宗しました。標高377m、杉に囲まれた34,300坪の境内の中には、大堂、祖師堂、庫裡、観音堂などが点在しています。中門は千葉県指定有形文化財、清澄の大スギは、国指定の天然記念物、モリアオガエルは千葉県指定の天然記念物とされています。また旭が森から見える朝日は「日本の朝日百選」に選定されています。

天津神明神社

鴨川市天津2954

源頼朝が伊勢の大神様を勧請した、約八百余年の歴史を誇る神社。主祭神である、天照皇大御神、豊受大神、八重事代主神がまつられ、多数の参拝客が訪れます。千葉県指定天然記念物で、亜熱帯性の珍樹「まるばちしゃの木」があり、この場所が北限であるとされています。

ロシア人来航の地

鴨川市天津9

元文4年(1739)ロシアのオホーツク探検事業としてシュパンベルグ率いる船団のうちの一隻、ヴァリトン大尉が指揮するガヴリエル号の乗組員数名がボートで天津村布入の地に上陸。当時、鎖国下にあった我が国で、最初のロシア人上陸となりました。日本の歴史・外交史上でも重要な出来事です。鴨川市指定の史跡となっています。

▼「鴨川歴史探訪」パンフレットはこちらで配布しております▼


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